Toward ICT4D

青年海外協力隊 平成28年度2次隊 PNG コンピュータ技術職のなんたらかんたら

青年海外協力隊の活動とその先にあるもの

約3か月の間、ブログの更新が滞っていました。

青年海外協力隊という2年間限定の活動の先には、なにが続いているんでしょうか?

ブログ更新を止めていた理由と協力隊に参加して7か月目に思うことを書こうと思います。

 

モチベーションの上がらなかったこの3か月。

 

初めてのパプアニューギニアの学校生活。
初めての教壇。
初めての授業運営。

 

そんなたくさんの初めての中、今年の1月、学年始めとともに本格的に活動が始動しました。
開始早々、教員の人数が足りないとお願いされ、週3コマ2クラスのEconomicsの授業を受け持つことに。
これが結果として、モチベーションを削る原因となりました。

パプアニューギニアの教育事情ですが、シラバスはガバガバ、ComputingもEconomicsも大綱はすべてをカバーする内容となっていて、とても1年間で終わる内容ではありません。
教員向け、生徒向けの授業教材はほぼ皆無。
Economicsの授業用に渡された授業内容案はB5 10ページ程度の簡素なもの。
(5回ぐらいお願いして、やっともらえました。でも、主任が作るテストには書かれてないこともでてきます。)

やりがいも大きかったですが、この2クラスの負担が他の9クラスのComputingの授業より重くなり、
毎日Economicsの授業準備に追われる日々が続きました。
そして、2月の中旬、毎日が全速力で走り抜けている感覚で「そろそろやばいなー」と思っていたところで、
疲労&食あたりで入院。
人生で初めての全身痙攣でぴくぴくしてました。

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入院するまでは、単元ごとにざっくりとした内容しかないテキストを見ながら、毎日夜10時くらいまで授業準備。
やりたいなーと思ってることもあんまりできないままに、日曜日もサザエさん症候群になりながら、夕方から授業準備。
要は約2か月全力疾走していた中でエネルギーを使い果し、軽い燃え尽き症候群になっていたのがこの3か月間。
と同時に、漠然ながらもこれまでの活動の中で抱いていた疑問や将来のことをあれこれ考えていた3か月間でした。

 

まず感じたのが、目的の定まっていない協力隊員は『逆境に弱い』ということ。

 

多くの青年海外協力隊員が「途上国のために貢献したい!」と思って、協力隊に参加します。
各々、いろんな理由や背景がありますが、ぼくも例外に入らず、途上国の貢献を目的として参加しました。
でも、活動が始まってすぐに同時にその目的に矛盾を感じました。

「海外ボランティアと言えば、国境なき医師団がファーストエイドのように目に見えて人を助ける活動」

青年海外協力隊の活動はファーストエイドとは違って、長期的な活動をわかっていたものの、
活動が始まるまでは心のどこかでそんな目に見えて効果の出せる活動ができるということが
モチベーションとなっていました。
それが、いざ現地に来てみると、現地の人はみんな幸せそうにゆったりまったり暮らしているし、
でもヒューマンリソースは足りていなくて、マンパワーとして割り当てられているボランティアという矛盾。
活動が始まってからは、本当にボランティアは必要とされているのか?という疑問がついて回るようになりました。
頑張りたい想いはあるものの、そんな理想とかけ離れた現状の矛盾の中でモチベーションの上がらない日々。
社会人時代はやる気が出なくても、お金のため、という最終兵器がパフォーマンスを維持していました。
でも、ボランティアになってお金も関わらない、他者の明確な評価もない中での活動となると、
モチベーションが下がったとき、泥沼の中にいるように頑張る理由が無くなってしまいます。
そんなときに「なんのためになにがしたいか」という目的、使命感みたいなものが
ボランティアの拠り所になり、前に進む力になると感じました。
ボランティアの良い面でもある「個人の判断に応じて活動できる」というのは、
逆を言えば「目的がなければなにもしない。なにもできない」ということでした。

 

※念のため補足しておきますが、モチベーションは上がらなくても、授業はちゃんと行ってます。
ただモチベーションが上がらずに「授業をこなす」といった感じだったので、どうしたらいいのかということをよく考えていました。

 

ボランティアとは言い換えればマンパワー

 

『これ、ボランティアという名のマンパワーじゃない?』

教員不足な現状を補うための教員としての活動。
知識不足の教員と行う学内のICTインフラ環境の運用、改善。
企業に属していたときの思考で考えると、
「教員不足は学校や政府機関が対応すべき問題だし、学内ICT環境の運用改善も普通は予算を確保して企業に委託する等の対応をとるもの。」
「そこにボランティアが割り当てられてるって、ボランティア=マンパワーということじゃない?」と感じるようになりました。

でも、そもそも論なんですが、
『ボランティア=自主的な奉仕活動への参加』なんですよね。
奉仕活動なのだから、マンパワーが含まれていて当たり前。
しかも、極論、マンパワー以外にボランティアってなにができるんでしょうね?
ODAも途上国に資金があれば他国への発注等で解決できることですし、
ボランティアを通じた支援も、資金やリソース、ナレッジがあれば、ボランティアに頼らず各国で対応できます。
でもそれが自国でできないから他国の援助を受けている。
しかも、青年海外協力隊は草の根活動と比喩されるほど、JICAで一番現地に近い末端の活動。
泥臭い仕事もがつがつこなしてこその活動やなと思うようになりました。
言い換えれば、ボランティアはマンパワーでなんぼ!!だと思います。

 

2年間の活動を終えた後に残るもの

 

目的が見えない日々の中でぶち当たったもう一つの壁が
1年半後、任期満了した後の人生、どうする?
という問題でした。

前職:SE→現:IT系ボランティアという経歴からいくと
任期満了後も開発系に進むのがキャリアとして綺麗な流れです。
SEの仕事も好きでしたが、再就職となるとこの2年間は技術スキルの面で足かせになります。
じゃあ、開発系に進むにしてもSEに復職するにしても、
この2年間の活動を終えたときに自分には何が身についているんでしょうか?

1. 途上国で生活したという経験。
2. 2年間の教員経験。
3. 思い出。

どれも大切な内容ですが、自分の今後の人生に向けての軸となる部分を持てていないという現状。
「ただ2年間、海外で過ごした」ということだけが残りそうで、どこかで焦りを感じているという感じです。
でもこの問題、就職活動のときと同じようなものなんです!
もがきつつ、その中でスキルを高めながら、各進路への情報を集めて、将来の不透明な部分を取り除いていこうと思います。

 

 

まとめると

 

その他にも、「そもそも論、援助って必要?」とか
任地に来てみていろいろな疑問にぶち当たっています。
その辺はおいおいどこかでまとめようと思います。

いろいろ考えてたことを文字に起こしていく中で見えてきたのは、
赴任前は泥臭くやっていこうと思っていたけど、
いざ赴任してみると想像していた環境との違いと、
ボランティアとしての存在意義、
物事がスムーズに進まない日本と違った泥臭さに悩まされていたのだと感じます。

ちなみに記事の内容が終始、理想と現実のずれというあんまり明るくない内容になっていますが、
活動7か月目の現状として考えれば、活動が落ち着いてきて、やっと現実が見えて始めてきたということで
いろいろ落ち着いて考えるいい機会だったと思います。
最近もっぱら考えていることですが、
「残りの期間でなにができるのか」というところで
抱えてきた問題を一つ一つ消化していきたいと思います。